大統領 ハミド・カルザイ 氏
ハミド・カルザイ氏は、 2004 年 12 月 7 日、アフガニスタン・イスラム共和国の大統領に就任。氏は、 2004 年 10 月 9 日に行われたアフガニスタンの有史上初の民主的選挙で、アフガニスタンの人々によって大統領に選出された。アフガニスタン移行行政機構の大統領も務めた。
2001 年 12 月 22 日、首都カーブルにて発足されたアフガニスタン暫定行政機構の議長に就任。ボン会合においてアフガン各派の代表者により紛争によるアフガニスタンの不安定な国政を率いる人物として全会一致で採択された。
2002 年 6 月 10 日ボン合意に基づき緊急ロヤ・ジルガが開催され、 13 日、約 1500 人の投票者数のうち 8 割超の票を獲得し、アフガニスタン移行政権の国家元首として正式に選出された。
カルザイ氏はアフガニスタンの解放運動における不動の人物として常に祖国との関係を密に保ってきた。
2001 年 10 月、カンダハールの北隣、オルズガン州において戦闘を指揮し、アフガニスタン国内における反タリバン勢力を組織した。米・英連合軍がタリバンとアルカイダに対する武力行使を行った際、特に南部におけるタリバン勢力の完全消滅に対し力を発揮した。
1995 年から 2000 年の間、ハミド・カルザイ氏はロヤ・ジルガ召喚任として、前アフガニスタン国王モハメッド・ザハール・シャー陛下の執事として仕え、世界各国を訪問した。また、彼は国連大使に任命され、国連、 EU 、「六カ国+二カ国」協議、などアフガニスタンの危機回避に携わった他の国際機関とも協議を行った。
2000 年、タリバン兵が同氏の父親であり、戦前の著名な国会議員であったアブドゥル・アハド・カルザイ氏をパキスタン西部のクエッタで射殺した。
1994 年から、同氏はカンダハールを内戦から救おうと粉骨砕身してきたが、タリバン政権が国外の勢力や資金により支援され政権を掌握するようになると、その士気は挫かれた。
1992 年、カルザイ氏はラバニ政権の下、外務次官として勤めていたが、 1994 年カーブルに戦火が拡大した内戦の後に辞職した。その以前にはペシャワールを本拠地としたアフガニスタンの対共産政権ムジャヒディンの下で外務省連絡役として勤めていた。
1985 年にフランスのリール大学においてジャーナリズムを専攻した後、前線情報局長の役職に就き、その 2 年後、前線警察部隊長に就任した。
1982 年、カルザイ氏はアフガン国家解放前線に入隊し、南西部地区における作戦指揮官として勤めた。
ハミド・カルザイ大統領は、現在もアフガン改革の主唱者として声を上げ続けている。
1957 年 12 月 24 日、カンダハール州のカルツに生まれ、カーブルのハビビア高校を卒業。インドのシムラ大学において政治学、国際政治学の学士と修士を終了。
同氏はアフガニスタン人で内科医師であるゼナット・カルザイ夫人と結婚。夫人はアフガニスタン母語の他、英語、フランス語、ウルドゥ語に堪能である。
ハミド・カルザイ氏の功績は以下のとおり。
2004年7月 フィラデルフィア自由勲章受賞
2003年2月 国際共和機関自由賞
2002年11月 国際救助委員会自由賞受賞
2002年1月 ジョージタウン大学より学長勲章受賞
2003年 ノーベル賞候補者
