アフガニスタン・イスラム共和国 閣僚略歴

ヘダヤット アミン アルサラ 筆頭大臣

1942 年カーブル生まれ。南イリノイ大学で学士、ジョージ・ワシントン大学で経済学修士号を取得。 1969 年、世界銀行に入り、 1987 年、アフガン戦士統一評議会のメンバー及び上級顧問として働くため退職。 1989 年から 1992 年まで暫定政府の財務大臣を務める。 1993 年、外務大臣に任命される。 1998 年、現国父であるザヒール・シャー前王の主宰するアフガン・ロヤ・ジルガ(国民大会議)の執行評議会のメンバーとなる。ボン会議後の暫定政府では副議長、財務大臣を努め、 2002 年の緊急ロヤ・ジルガ後、アフガニスタン・イスラム移行政権の副大統領となり、独立行政機関、行政改革委員会の議長、国家安全保障会議のメンバー、中央統計局、アフガニスタン経済協力会議顧問を兼務。 2005 年、商業大臣に指名された。

ザルマイ ラスール 外務大臣

1944 年カーブル生まれ。フランスで医学博士号を取得。パリで心臓病の研究機関で医師として勤務し、ハキカテ・アフガーン出版を担当した。また、サウジアラビアの陸軍病院勤務、ローマでのモハマド・ザヒール・シャー前王の参謀長、民間航空・観光事業大臣、アフガニスタン国家安全保障顧問も務めた。

ランギーン ダードファル スパンタ 国家安全顧問

1953 年ヘラート州生まれ。 1974 年からカーブル大学の法学部、政治学部で学ぶ。 1976 年、トルコのアンカラ大学でトルコ語を学びさらにそこで 1982 年国際関係の学位を取得。同年ドイツに移り、アーヘン大学でドイツ語を学び、その後 1990 年に政治学、社会学、国際関係と国際協力の博士号を取得した。 1992 年から 1994 年にかけて政治学研究所の助教授を務める。 1996 年、同研究所の教授、及びアーヘン大学第三世界研究所長となる。 4 月 20 日、外相への推薦が国会で承認され、 2006 年 5 月 2 日に就任した。

モハンマド オマール ザキルワール 財務大臣

国会で承認され財務大臣に任命された。アフガン暦1387年ダルワ月27日に大統領によって財務大臣代理として任命された後、同年フート月12日に議会の投票で選出され正式に財務大臣に任命された。議会投票では、全体の198票中144票を得た。

ワイス アウマド バルマク 農村復興開発大臣

1972年カブール生まれ。理学士と建築の優等学位をカブール大学建築学科で取得後、ロンドン大学SOASにて開発学を学ぶ。1993年に国際赤十字委員会で専門家としてのキャリアをスタートした。ダリ語、パシュトー語、英語の知識がある。

アメナ サフィ アフザリ 殉教障害者社会問題大臣

1957年ヘラート生まれ。1978年にカブール大学で科学の学位取得後、地元ヘラトのMehri高校で教師を務めた。その後海外でMuslim Sisters Association(ムスリム女性協会)を設立し1992年までその活動に専念した。1993年にはカブールでIslamic Movement of Women of Afghanistan(アフガニスタン女性イスラム運動)を設立し女性の権利擁護、アフガニスタンの少女のエンパワメントに加え、彼女たちの政治や文化活動への参加促進に貢献した。さらには1994年に設立されたカブールで最初のフリースクールとEducational and Training Centers for women(女性のための教育トレーニングセンター)の代表を務め、書籍の監修者としても「Rhrawan Samia」、「Al-Momenat」、「Paiwand」、「Mother」などいくつかの書籍を手がける。2002年にアフガニスタンに帰国し、2004年まで自立人権委員会の委員を、その後、ジャミー文化財団理事会の主要メンバーを務めた。2004年からはアフガニスタン青少年問題省にて情報文化省と統合されるまでの1年半の間勤務した。2006年のジルガ平和準備委員会では主要な役目を果たし、政府の青少年高等弁務官事務所長の地位を引き継ぐと同時に国際赤十字赤新月社の委員会メンバーに就任。

アルサラ ジャマール民族国境問題大臣

1966年パクティカ州生まれ。1992年にマラヤ大学で経済学の学位を取得後ぺシャワールにてネブラスカ大学に3年間勤務。2006年から2008年にかけてコースト州知事を務めながら大統領選においてカルザイ現大統領支援チームの一員として積極的に活動した。

ジャマヒル アンワリ 難民帰還民問題大臣

1955 年ファーリヤーブ州北部アンドホイ地区生まれ。1976年カブール大学薬学部卒業後、薬剤師として母子健康学科にて薬剤師として勤務した。1977年に血液銀行の職員として勤務を始め1983年からは薬剤業務部長としてアフガニスタン北部地域を担当した。2006年からは公衆衛生省薬剤総局の医療業務長に就任。また、アフガニスタン薬剤師組合の財務担当責任者、トルクメニスタン平和評議会代表と絨毯売買主要代表者会のメンバーも務めた。2004年に開催された国民代表議会ロヤ・ジルガでは代表者団の一員に選出された。

ハビブッラ ガリーブ 司法大臣

1940年5月7日カーピーサー州のオアジハイル村で生まれ。1960年にカブール大学に入学しイスラム学と法律を専攻した。1964年に司法省に入省し、1967年から1969年まではカイロのアルアザール大学院で学ぶ。司法省に戻った後は省内の局長に就任、その後は立法局と法務会の相談役を務め、1979年には調書と訴状担当の司法長官代理として遣えた。その一方、パキスタンでは様々な立場からアフガニスタン難民救済に努め、それに関連してCultural Council of Afghanistan Resistance(アフガニスタンレジスタンスの文化評議会)を設立しアフガニスタン難民の教育学的文化的利益の促進に広く関わった。また同時にマディナモナワラ孤児院とアスラ基金の運営する孤児院教育部門の責任者を務めると同時に大学教授としても勤務した。国外での暫定政府を組織する過程では司法省の立法局長官に任命された。1992年にアフガニスタンに帰国した後は法律監督履行局司法長官代理、裁判法務保護局長官を兼任し、2001年後半には暫定政権樹立のために従事、その後は暫定政府の一員として様々な大臣職を歴任した。後に独立司法裁判改良委員会のメンバーと同時に法律改革委員会長に就任し、アフガニスタン大統領の相談委員のメンバーに就任後は委員長に昇任し司法省の法律相談役に任命された。

スラヤ ダリル公衆衛生大臣

1970年カブール生まれ。1980年代後半にカブール医学学校で学び、1992年に卒業。その数ヵ月後にナジブラ政権が崩壊、ムジャーヒディーン政権が成立し、家族と共により治安の良いバルフ州のマザーリシャリーフへ移った。そこでは、Sans Frontieresなど多くの国際NGOやIOM(国際移住機関)で勤務し1994年にはUNICEF(国連児童基金)で主に難民キャンプでの活動に従事し始めた。1990年中盤から後半にかけてのタリバン勢力拡大にあわせて1998年にはパキスタンのイスラマバードに移住したが、その後もアフガニスタンでの医学訓練を継続しパキスタン拠点のUNICEFアフガニスタン事務所での勤務を続ける。2001年後半のタリバン政権の崩壊を機にカブールで幼少期を過ごした家に戻りUNICEF母体健康プロジェクトのオフィサーとして国の妊婦死亡率の調査に努めた。その後ハーバード大学公衆衛生大学院に学長奨学金を得て留学、ヘルスケアマネジメントを学ぶ。2005年中盤にハーバードで修士号を取得しアフガニスタンに帰国、UNICEFの政策とトレーニング分野のプロジェクトオフィサーに上級国家身分で就任した。また、保健省の相談役兼UNICEFの保健システム開発の参加のための調整役を務めた。

アブドゥ ルハディ アルガンディワル 経済労働大臣

1952年カブール生まれ。1976年に経済学で学士号を取得した後、1977年計画省のマネージャーに指名された。内戦が勃発したことをきっかけにパキスタンへ移り、帰国後はタリバン政権前のアフガニスタンにおいて財務省に遣えた。2008年にはIslamic Partyの党首に選出され2010年に経済労働大臣に任命された。

オバイドゥラ オバイド高等教育大臣

Bio Coming Soon.

モハマド イスマイル 水エネルギー大臣

1948 年ヘラート州生まれ。 1979 年士官学校卒業後、ヘラートで入隊。師団がソ連に反旗を翻したとき、彼もレジスタンスに参加。 1992 年に政府が組織された後、将軍の地位を得、ヘラート州知事と第 6 部隊指揮官に任命された。

ホソン バヌ ホラム 女性課題大臣

1957年生まれ。学士号と修士号を1983年に文学と社会学で取得。修士号を取得した直後にカブール大学において文学教授陣の要職に就く。その2年後、哲学において博士号を取得。2003年には同大学において文学科の主任教授に任命され、女性課題大臣に任命されるまでその役職を続けた。それに加え、高等教育評議会の役員として働いており、スペラント国際女性協会、国際テュルク協会の会員である。ダリ語、パシュト語、ウズベキスタンとロシア語に堪能で、トルコ語と英語の知識がある。

ザラール アハマド モクベル 内務大臣

Bio Coming Soon.

ハッサン アブドゥラヒ都市開発大臣

Bio Coming Soon.

コダイダッド麻薬対策大臣

1955年にオルズガン州生まれ。National Defense Academy、The India Military Academy、モスクワのFronza Military Academyを修了。1977年から1992年まではアフガニスタン国軍に従事し、様々な分野で52の名誉ある勲章を授与された。渡英前の1992年にはアフガニスタン・イスラム国の国家安全大臣に指名され、2001年にアフガニスタンに帰国した。

グラム ファルーク ワルダク 教育大臣

1959年ワルダク州生まれ。1986年にパキスタンのパンジャブ大学薬学部を卒業した。1996年から2001年までパキスタンにて国連に勤務する傍らでプレストン大学から行政学の修士号を取得。アフガニスタンの発展と復興の過程では、立憲委員事務局長、2002年から2004年のロヤジルガ(最高国民意思決定機関)事務局員、内閣官房長官、2005年のアフガニスタン行政局事務総長や大臣など多くの重要な地位に就いた。

ダウド アリ ナジガフィ 運輸航空大臣

サルマン アリの息子として1968年2月17日にアフガニスタンに生まれる。1980年代にパキスタンに移り、その地で難民として生涯のほとんどの教育を受けた。パキスタンのバロチスタン大学において医科学の学士号を、ペシャワール大学にてイスラム学の修士号を取得。パキスタン滞在中には、アフガニスタン難民のためのセハト病院の理事として勤務し、国際機関である国際電気標準会議での5年間の事務局運営歴を持つ。また、国連での勤務経験も有する。ファルシ語、パシュトー語、ウルドゥー語、英語の知識がある。

サイード マクドゥーム ラヒーン情報文化観光大臣

1946年カブール市生まれ。アフガニスタンで学士号を取得後、1973年にイランのテヘラン大学にて修士と博士号を取得。カブール大学にて講師を務めた後には情報文化省の美術と文化担当ディレクターとして勤務。ダーウード大統領時代には法の起草に携わり1977年のロヤ・ジルガに参加した。ソビエトに連邦による侵攻を機にパキスタンへ移り、そこではムジャーヒディーンの統一に貢献した。Islamic Unity of Afghanistanの設立後は最高会議のメンバー兼文化委員会の代表を務め、1992年から1994年までムジャーヒディーンから発信されたRadio Free Kabulのディレクターも兼任した。ハズラット・ムジャディディ暫定政権時には特別顧問に就任。詩人、また執筆者としても著名であり、文化、文学、歴史とイスラム社会についてさまざまな研究、出版経験を持つ。1996 年、仲間の協力でPeace and Democracy Association for Afghanistan を設立、同協会のディレクターに就任。1998年にロヤジルガ実行委員会のメンバーに選任され、暫定政権発足以降は情報文化観光大臣を務めてきた。2003年9月、カブール自治体のディレクターに選任され2004年には元国王から表現、文化の自由に関するメダルを授与された。

オバイドラー ラミン 農業感慨大臣

1952 年バグラン州生まれ。 1976 年カーブル大学農学部卒業。 1975 年から 1978 年まで農業銀行の監査、 1981 年から 1983 年まで銀行協同組合理事、 2003 年から 2004 年まで農業振興銀行取締役。また、 NGO の貿易業者職人センター、アフガニスタン農業連合の理事も務めている。

アブドゥル クドゥス ハミディ公共福祉大臣

1956年ジョズガン州生まれ。1979年に化学技術学科から学士号を取得後は商業省の石油液化ガス部門に勤務。1983年にカブールポリテクニク大学で修士号を取得後は都市開発省汽力発電プログラムのゼネラルマネージャーに就任。その後はマクロラヤン地区の監督ゼネラルマネージャーへの任命、Coca-Cola KAMでの勤務、バルフ大学教授としての勤務を経験した。2004年にはMazarsharif Fertilizer Electricity Industriesの副取締役を経た後に取締役に就任。2004年から2005年にかけてはNorth Gas and Oil Disquisitionの取締役の地位に就き2006年には鉱工業省の相談役に、同年10月には同省の部門副大臣に任命される。2010年6月、公共福祉大臣に任命された。パシュトー語、ダリ語、ウズベク語、トルクメン語、英語とロシア語に堪能である。

アミルザイ ザンギーン 通信大臣

パクティカ州生まれ。 1972 年、英国南ロンドン大学電気通信学部卒業。 1978 年から 1980 年まで通信トレーニングセンターの講師、後に責任者。 1982 年からスウェーデンで通信関連分野に従事した。サウジアラビアのハーリド国王通信事業チームのメンバーとして、またアフガニスタンのスウェーデン委員会のメンバーとしても積極的に活動した。タリバン崩壊後はカーブルに戻り、通信省やアフガンワイヤレス社の技術者のための訓練セミナーを開催し、通信大臣の上級顧問として働いた。 2004 年、アフガンテレコム社代表に就任。

ワヒドゥラ シャハラーニ 鉱工業大臣

2008年12月末に商業産業大臣に任命され、主に貿易、産業、投資、輸出促進と私営企業の発展に努めた。それ以前は、財務副大臣兼大統領の財務相談役を務めるとともに国際金融機関及び2国間ドナーのサポート業務を担当した。また、アフガニスタン国家発展戦略(ANDS)と中期的財政枠組みの政策優先事項決定(MTFF)を含む政府の貧困削減戦略計画を考案する重要な役目を果たした。アジア開発銀行、イスラム開発銀行、世界銀行の代理総裁を務め、またUSAISD、DFID、CIDA、BMZ、SIDAといった他の国際開発機関においても主要ポストに就く。また、中央銀行Da Afghanistan Bankでは副総裁として金融政策、銀行管理、市場取引の責任者となる一方で国際通貨基金のアフガニスタン代理総裁も務めた。英国滞在時には、2年間キングストン大学ビジネス・経済学部にて経済学講師として教鞭をとった。英国とパキスタンでは経済、銀行業務、財務の学術資格を取得。今もなお、社会経済学研究、サブナショナルガバナンス、行政改革、経済開発、金融政策と財政による景気政策に強い関心がある。

モハマド ヨセフ ニアジ巡礼寄進大臣

1959年ナンガルハル州カマ地区生まれ。カブールのBetab ‎SchoolとImam Abu Hanifa Seminaryにて教育を受け、その後サウジアラビアへ移りマディーナのイスラム大学でシャーリアの学士号を取得。さらに、イスラム学の修士と博士号をウムアルキューラ大学で取得。その後2001年に同大学で教師として勤務した。1996年から2000年までサウジアラビアのアフガニスタン大使館にて勤務。そこでは、感謝状やメダルを受けるなど仕事において多くの功績を残した。パシュトー語、ダリ語、アラビア語に堪能で英語の知識もある。これら言語に関する本を出版した。

アブドル ラヒーム ワルダク 国防大臣

1944 年ワルダク州生まれ。士官学校、エジプトのアリ・ナセルアカデミーで学ぶ。後に士官学校講師、国防省の典礼次官となる。対ソ連戦争の間はモハゼミリ、三者連合の軍事アシスタント、ムジャヘディン(イスラム戦士)メンバー、モハゼミリのジハード戦線の指揮官。共産政権崩壊後、カーブル市治安委員会メンバー、陸軍参謀長、士官協会理事、教育委員会理事、国軍再建委員会メンバー、武装解除計画担当局長、国軍再編局長、副国防相を歴任。

アンワルル ハク アフーディ 貿易産業大臣

1951年カジ・アブドゥルハクの息子としてカブール州サロビ地区で生まれる。初等教育とカブールのハビビア高校での中等教育を修了した。ベイルートのアメリカン大学で経済と政治科学の学士号と修士号を取得後、さらにアメリカノースウエスタン大学で修士号と博士号を取得。1984年にはカールトン大学の准教授として勤務し、1985年から1987年まではContinental Elona Bank of Chicagoにて銀行業務のディレクターとして勤務。1987年から2002年までは台湾の静宜大学で政治科学の教授を、その後2004年12月まではDa Afghanistan Bankの総裁を務めた。2004年、カルザイ大統領の新政権のもと財務大臣に任命された。これまでに、国内外の学術雑誌、紀要や新聞においてさまざまな記事や論文を発表した経験がある。